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東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)195号 判決 1988年7月26日

原告 芥川製菓株式会社

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和五八年審判第九七四六号事件について昭和六二年九月一八日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五五年九月二九日、意匠に係る物品を「チヨコレート」とする別紙図面一記載のとおりの意匠(以下「本願意匠」という。)について意匠登録出願(昭和五五年意匠登録願第四〇四七二号)をしたところ、昭和五八年一月二八日拒絶査定があつたので、同年四月三〇日審判を請求し、昭和五八年審判第九七四六号事件として審理された結果、昭和六二年九月一八日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年同月二六日原告に送達された。

二  審決の理由の要点

本願意匠は、願書及び願書に添付した図面の記載によれば、意匠に係る物品が「チヨコレート」であり、意匠に係る形態が図面によつて現されたもので、その意匠の内容は、別紙図面一に示すとおりである。

これに対し、原審は、卓上電気計算機の意匠(昭和五五年二月二六日に設定登録された意匠第五三〇六四七号の意匠。以下「引用意匠」という。別紙図面二)を商慣習上通常なされる程度に変化してチヨコレートとして表したまでのものであつて、当業者が日本国内において広く知られた形状、模様、若しくは色彩又はこれらの結合に基づいて容易に意匠の創作をすることができたものであり、意匠法第三条第二項の規定に該当するとして、その意匠登録を拒絶する旨の査定をした。

請求人(原告)は審判請求理由書において、出願人も、電卓の形状が、刊行物である意匠公報に掲載された、いわゆる公知の形状であることは認める。しかし、公知の形状は、意匠法第三条第二項にいう広く知られた形状とは同義でなく、本件出願時において、引用意匠が周知となり得る状態にあつたとしても、事実上は周知になつていなかつた。また、電卓の形状は、メーカーにより種々の形状があり、種々の形状を連想させる『電卓』は、これに該当せず、全体として、一般人の常識として誰でも容易に考え付く程度の、極くありふれた形状とはいえない。次に、本願意匠が、非類似物品間において転用が商慣習となつている意匠に該当するか否かを考えても、電卓とチヨコレートの間には本件出願時において物品間に転用の慣習はなく、相互の物品の用途に何らの関係もあるとはいえない。そして、電卓とチヨコレートとは材質、製法及び構造とも全く異なる。したがつて、相互の物品間に全く関連のない電卓とチヨコレートを含む菓子とは各々の業界の専門家たるデザイナーにとつて、デザインの転用は通常考えられず、むしろ、チヨコレートの形状等として電卓の形状を適用するという着想の面白さは、デザイナーの創意工夫による、別異の創作活動といえる。すなわち、本願意匠の創作課程は、物品電卓のデザイナーとは異なり、商品チヨコレートという分野で、チヨコレートにあつた形態を目的として、チヨコレートのデザイナーが流動状態のチヨコレート材料から、型入れ、冷却、型抜きを考慮して完成意匠を創作したものである旨主張している。

そこで、検討するに、請求人は上記のとおり、電卓とチヨコレートの間には本件出願時において物品間に転用の慣習はなく、相互の物品の用途に何らの関係もあるとはいえない旨の主張をしている。しかしながら、本件出願時において、古くより食品業界、とりわけ菓子の分野においては、自然物あるいは大人の持ち物とされているところの物を、子供の玩具的趣向に合わせて、しかも菓子という食品にそれらのものを転用して、各種の材料の菓子の意匠が創作されてきていることは例を挙げるまでもないほどに広く知られているところであつて、極めて一般的であるといわざるを得ない。また、本願意匠はチヨコレートにあつた形態を目的として、材料から型入れ、冷却、型抜きを考慮して完成意匠を創作したものである旨をも主張しているが、この点については、菓子の製造に当つては、その材料の特殊性ともあいまつて、随所にその製造に当つての工夫が凝らされると同時に、実物のイメージが「菓子」そのものにイメージされているだけでよいという特殊事情も加わつて、いわゆる「実物」とは異なることが一般的であり、このことが取りも直さず、商慣習上行われる程度の変更を加えるということであつて、何ら格別のこととも考えられず、やはり極めて一般的なことといわざるを得ない。

してみると、上記に述べた各点を前提にして、本願意匠を全体として考察するに、本願意匠は、その形態については別紙図面一に示すとおりのものであるところ、本件出願前において、意匠登録第五三〇六四七号として掲載され、同意匠公報の頒布とその閲覧によつて広く知られていた引用意匠のほとんどそのままの態様を、その意匠のイメージを損なうことのない程度に「チヨコレート」とするための商慣習上通常なされる程度の変更を加えて、台形板状のチヨコレートの表面にレリーフ状に表したものと認めざるを得ないものであり、たとえ、本件出願前において、チヨコレートと卓上電気計算機という互いの物品間に商慣習上の転用の例が認められなかつたものであつたとしても、本願意匠はその意匠の属する分野における通常の知識を有する者が日本国内において広く知られた形状に基づいて容易に意匠の創作をすることができたものといわざるを得ない。

したがつて、本願意匠は、意匠法第三条第二項に規定する意匠に該当するものであるから意匠登録を受けることができない。

三  審決の取消事由

本願意匠は、意匠法第三条第二項に規定する意匠に該当するものであるから意匠登録を受けることができないとした審決には、引用意匠の周知性についての認定及び本願意匠の創作容易性についての認定、判断を誤つた違法があり取り消されるべきである。

1  引用意匠の周知性についての認定の誤り

審決は、本件出願前、引用意匠は既に意匠公報に掲載され、右公報の頒布とその閲覧によつて広く知られていた、と認定したが、意匠法第三条第一項にいう「日本国内において広く知られた」といい得るためには、当該意匠が単に知られた、もしくは、知られ得る状態におかれたものでは足りず、少なくとも当業者の多くの者が現実に周知していなければならないものであつて、その表された意匠の外形が、単にどこかに存在していれば足りるというものではなく、当業者である創作者が知らないということができない程のものでなければならない。そして、本件における当業者とは、引用意匠の卓上電気計算機の業者ではなく、チヨコレート業界における平均的知識をもつ者であるから、このような者が、膨大な公報資料から、わざわざ意匠の分野を異にするところの引用意匠の掲載された公報を閲覧するといつたことは考えられず、万一、あつたとしても極めて稀なケースであるから、引用意匠が公報に掲載され、その公報が頒布、閲覧されたからといつて引用意匠が周知の形態になつていたとは到底いえない。

2  本願意匠の創作容易性についての認定、判断の誤り

審決は、菓子の分野においては、自然物あるいは大人の持ち物のイメージを転用して菓子の意匠が創作されてきたことは極めて一般的であり、本願意匠も引用意匠のイメージを損なうことのない程度に「チヨコレート」とするための商慣習上通常される程度の変更を加えたものである、と認定したが、本件出願前、チヨコレート業界において大人の持ち物や各種器具を模している慣行はない。審決は、自然物や大人の持ち物は、卓上電気計算機を含むものとの漠然とした考えの上に当業者が容易に創作できると判断をしたものと思われるが、本願意匠は、意匠に係る物品を「チヨコレート」とするものであり、この業界において通常の知識を有する者を当業者とするものであるのに対し、引用意匠は、事務機中の卓上電気計算機の業界において通常の知識を有する者を当業者とするものであつて、意匠の属する分野を全く異にし、また、本願意匠に係わる物品と、引用意匠に係わる物品は、その用途と機能からみて、物品として全く別のものであるから、引用意匠を本願意匠の分野に転用することは考えも及ばないところである。にもかかわず、単にチヨコレートの意匠形態が卓上電気計算機と似ているというだけの認定から、本願意匠を単たる周知形状からの非類似物品間における転用、と判断したことは、意匠法第三条第二項の適用を誤つたものというべきである。

さらに、引用意匠は、その正面図等において、キー部分は、計算機基盤上より真つ直ぐ立ち上がつていて、指先が当る部分が偏平に形成され、しかも、それぞれのキーに付された文字が省略され、その上キー部分とデイスプレイである表示部分等、基盤上に現れている各部分が全体として簡略的に表現されている。これに対し、本願意匠は、商慣習上通常なされる程度の台形板状のチヨコレート基盤上のキー部分はともかくとして、それ以外の創作の要旨の一部であるキー部分が前記基盤上より斜め方向に先細り状に指先の形状に合致するように中央部分が陥没しており、表示部分及び表示部分に表示されている数字、スイツチ部分の表示が具体的に表されており、更に、前記表示部分の右隣には引用意匠には表現されていない音符記号が付加されている等、全体として基盤上の各部分が引用意匠のそれより細かく表現されている。これらの形態上の差異は、本願意匠の方が引用意匠のものより、より詳細な工夫が加えられたものといえるのであり、したがつて、本願意匠は引用意匠の転用になるものではない。

第三請求の原因に対する認否及び被告の反論

一  請求の原因一及び二の事実は認める。

二  同三の審決の取消事由の主張は争う。

審決の認定、判断は正当であつて、審決に原告主張のような違法の点はない。

1  引用意匠の周知性について

特許庁において発行された意匠公報は、公衆の閲覧に供するため全国百余か所の公衆閲覧所に頒布され、発行日あるいはそれから一週間程度の間に公開され、そこにおいて、いわゆる不特定大多数の者がそれを閲覧しているところである。そうして、引用意匠が掲載された意匠公報は、昭和五五年五月八日の発行のものであり、本件意匠登録願は昭和五五年九月二九日の出願であるところをみれば、その間、約四、五か月あることになり、この間に全国の閲覧所において同公報を閲覧した者はおびただしい数に昇ることは疑う余地がない。してみれば、不特定大多数の者がこれを閲覧し、知り得ることになり、したがつて、引用の意匠公報は現実に広く知られていることに帰するものと考えて何ら差しつかえない。

また、右公報が不特定大多数の者によつて閲覧され、知得されていることに鑑みれば、その意匠の属する分野(本願意匠の属する業界)における通常の知識を有する者もまたこれに包含されていると理解される。

2  本願意匠の創作容易性について

本願意匠と引用意匠とは、用途と機能において異なり、その意匠の属する分野を全く異にすることは原告主張のとおりである。しかし、本願意匠の分野、すなわち、菓子のうち特にチヨコレートの分野においては、自然物に限らず各種の器物等を模してチヨコレートの意匠の創作がなされており、古くより、本願意匠と引用意匠との間に限らずごく一般的にいわゆる転用が商慣習となつている業界である。そうして、意匠法第三条第二項の適用においても、いわゆる転用に相当する意匠の場合にあつては出願の意匠が引用の意匠とほとんどそのままの態様(商慣行上の変更は含まない)といえる程度に似ていなければならないことはいうまでもないところ、本願意匠は、審決が認定するとおり、卓上電気計算機の一つである引用意匠のほとんどそのままの態要をその意匠のイメージを損なうことのない程度に「チヨコレート」とするための商慣習上通常なされる程度の変更を加えて台形板上のチヨコレートの表面にレリーフ状に表したものと認めざるを得ないものであつて、本願意匠は、その意匠の属する分野における通常の知識を有する者が日本国内において広く知られた形状に基づいて容易に意匠の創作をすることができたものといわざるをえない。

また、本願意匠は引用意匠より、詳細な工夫が加えられているとの点については、別紙図面一と同図面二を比較検討しても理解できるとおり、その正面図及び平面図における全体の配置構成は、細部はともかくとして、寸分違わないといつても過言でないほど酷似しており、より詳細な工夫が加えられたものとされる部分についても、いわゆる「卓上電気計算機」といわれる物品の意匠の分野にあつては極めて一般的な態様のものであつて本願意匠にのみ格別の工夫のあつた特徴点ともすることができない程度のものであり、また、音符記号が付加されているとする点についても、小さい付加的なもので子供の玩具、特に幼児向けの意匠においては多用されているところであつて、右同様格別の特徴点とは到底考えられない。したがつて、より詳細な工夫が加えられたとするその形態状の差異は、審決が、その第五頁五行目より「菓子の製造にあたつては、……実物のイメージが「菓子」そのものにイメージされているだけでよいという特殊事情も加わつて……何ら格別のこととも考えられず」と説示するとおりの工夫の程度であり、その他に創作したとする何らの特徴点も認められないものであつて、この程度では未だその意匠の属する分野における通常の知識を有する者が日本国内において広く知られた形状に基づいて容易に意匠の創作をすることができたものといわざるを得ないとした審決に何ら違法はない。

第四証拠<省略>

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。

原告は、引用意匠が意匠公報に掲載され、右公報が頒布、閲覧されたからといつて、そのことから直ちに引用意匠が意匠法第三条第二項にいう「日本国内において広く知られた」形態すなわち周知の形態とはいえない旨主張する。

意匠法第三条第二項の規定は、意匠登録出願前にその出願に係る意匠がすでに日本国内において広く知られた形状、模様、もしくは色彩又はこれらの結合、すなわち周知の形態に基づいて容易に創作をすることができるものであるときは、意匠としての創作性が低く、意匠権という独占的、排他的な権利を付与することが相当でないことを理由として、右出願に係る意匠について意匠登録を受けることができないとしたものと解されるから、右にいう周知の形態であるというには、その意匠が単に不特定多数の人に知られ得る状態におかれただけでは足りず、当該意匠の属する分野において、通常の知識を有する者、すなわち当業者がその形態を現実に認識していたことが必要であつて、その意匠の形態について、当業者である創作者が知らないということができないほどに知れわたつていることを要するというべきである。

これを本件についてみるに、成立に争いのない甲第一号証、原本の存在ならびに成立について争いのない甲第五号証の二に前記争いのない事実及び本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、引用意匠は、その意匠に係る物品を「卓上電気計算機」とする意匠であつて、昭和五五年五月八日発行の意匠公報に掲載され、右公報はそのころ全国百余か所の公衆閲覧所に頒布され、一般に公開されたこと、一方、本願意匠は、その意匠に係る物品を「チヨコレート」とする意匠であつて、引用意匠が右公報に掲載された約四か月後の同年九月二九日に登録出願されたことが認められ、右認定事実によれば、引用意匠は、本件出願前、約四か月余の間全国百余か所の公衆閲覧所において公開され、この間不特定多数のものがこれを閲覧し、その形状を知り得る状態におかれていたことは認められるけれども、右閲覧公開により、引用意匠とは意匠に係る物品を異にするチヨコレートの業界における当業者が現実にこれを知るに至つたとまでは認定できず、その意匠が周知の形態になつたとは認められない。

そうすると、本件審決は、周知の形態とは認められない引用意匠をもつて、意匠法第三条第二項にいう周知の形態と認定した点において誤つており、その結果、同条項にいう周知の形態とはなしえない引用意匠に基づき本願意匠が容易に創作をすることができたとしたものであるから、違法として取消しを免れない。

三  よつて、本件審決の取消しを求める原告の本訴請求を認容に、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤井俊彦 竹田稔 岩田嘉彦)

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